道は一つじゃない

アラフィフ主婦の回想、妄想、つぶやき日記です。

 「愛の不時着」を見終わって、今は「梨泰院クラス」。

主人公が、谷底に落とされても、落とされても、這い上がっていく姿を見ながら、
「そうだよねっ」って自分と照らし合わせて、自分を元気づけてみる。

今いる世界が全てじゃない。

行動すれば、人脈も変わる。

人脈が変われば、世界が変わる。

でも、その行動力がアラフィフ主婦(私)には、難しい。

せいぜい、石橋を叩くぐらいで終わってしまう。

結果を気にするからダメなんだな。

過程を楽しめばいいだけなのに。

 ポジティブな人と出会うと、尊敬してしまう。

私は、そっち側に行きたいけど、行けない。

尊敬とともに、自分がみじめになる。

勝手に、みじめになってるだけだけど。

そんな日は家に帰りたくない。

明るく、楽しく過ごしたいと願っても、

現実は、残酷だ。

それに打ち勝つ信念が私には無い。

鬼嫁と呼ばれる人たちがうらやましい。

嫌味ではなく、本当にうらやましい。

この世の荒波を生きていくには、鬼嫁であるべきだ。

優しい眠り

4時間だけのパートだけど、緊張しながらのトレーニングだから、ちょっと疲れが出てきた。
足がだるい。

「愛の不時着」見終わったけど、サウンドトラックをBGMにして、眠りにつくのが至福のひと時。


・・・

不安という存在

意識して自分を持ち上げないと、気持ちが沈んでしまう。

不安になると、食欲が増すから困る。

ことさら甘いものが食べたくなる。

量も腹八分目とはいかない。

20代の頃は、過食嘔吐が辞められなくて、罪悪感との戦いだった。

きっかけは無理なダイエットが始まりだけど、吐くことによって、体に溜まった悪霊みたいなのが出ていく気がして、全部吐き切ったときは、気持ちがすっきりした。

今は、吐くことで体力を消耗しちゃうし、吐いてもまた食べたくなるのがわかるから、食べ過ぎてしまった自分を受け入れることにしてる。
受け入れることで、心が落ち着くから、そのあとの対処を考えることができる。

そうだ、不安は不安のまま受け入れたらいいんだ。

不安を拒否するから不安になるんだ。

なんのことはない。

今、私は、不安なんだ。

それで、いいんだ。

理想の自分

私は、物心ついたころにはすでに肥満児だった。

好き嫌いもほとんどなく、なんでも食べた。

家は食料品屋で、駄菓子、アイスクリーム、冬になれば井村屋の肉まん、あんまんがあった。

学校から帰ってきたら、アイスクリームを食べるのがひたすらの楽しみだった。

食欲は旺盛だったけど、人見知りがひどくて、内弁慶だった。

食欲と比例して、性格も積極的ならよかったのにと思う。

男子から、心無い言葉を吐かれても、何も言い返せないでいた。

そんな現実から逃れたくて、よく妄想してたなぁ…

幼稚園の頃はマッチ(近藤真彦)が好きだったから、たのきんトリオが自分を取り合ったりとか、
小学校の頃は、大映のドラマにドハマりしてたから、校庭に、松村雄基がバイクで迎えに来てたりとか…
中学の頃は、ホットロードにハマったから、ハルヤマのバイクの後ろに乗っけてもらう妄想したりして…
あの頃は、バイクの爆音も心地よく聞こえてた。(今じゃ、騒音にしか聞こえないけど…)

理想の自分には、まだ成れてない。